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入れ歯ってなんですか?

「歯医者は墓場の乞食か?」

院長が駆け出し歯科医のときに、医師会―歯科医師会合同で日本全国で医科―歯科保険診療拒否の全国ストライキがあった。勤務先の意向で私もストに参加した。

医師会歯科医師会の意見の食い違いはあったが、それなりに政治的に成功した。当時の日本医師会会長武見太郎先生は歯科医師会との共闘の懐疑とマスコミへ不満についに本音を吐いた。「歯医者は墓場の乞食だ」。

これには当時の日本歯科医師会会長中原實先生はじめ歯科医師会は反発した。まだ若い未熟な私も、その意味も判らず不快に思った。私も歯医者になりたてで武見太郎先生の発言の真意がわからなかった。あまり品のいい表現とは思えませんが、武見太郎先生の当時から歯科というものの本質をついていた発言であったと今は思うのです。

当時武見太郎医師会長の歯科医師会への挑戦的な発言の意味のわからない歯科界全体が歯科医療というものを知ってか知らずか、歯科医療とは何か?を考えないで懸命に入れ歯作りに邁進したのでした。

現在でさえ歯科界は入れ歯がインプラントに入れ変わっただけで「歯科は墓場の乞食だ」という50年も前の故武見太郎先生の歯科界への挑戦的なメッセージを理解できていない気がする。あるいは知らないふりをしているのだろうか。

しかし55年ものあいだ歯科診療の経験と周囲の歯科診療を見聞きしてくると、「歯科は墓場の乞食」という武見太郎先生の言葉は正解だったと思えるようになったのは、残念なことだが、私個人の気持ちとしては納得してしまう。

墓場とは歯の死んだ場所である。生きようとする歯を歯科医は心血を注いで助けようとしたが、薬石効果なく抜歯に至った――つまり死にいたった。歯が失われて歯のない場所として口腔内に存在する場所。そこは歯の墓場そのものである。

その墓場に入れ歯をいて金歯を入れて生活している当時の歯科医の姿を武見太郎先生は「歯科は墓場の乞食」と痛烈に批判したのだ。歯を抜く前に医療として歯を助ける治療をしてくれよ、歯医者はなぜそれをしない―という意味だったのでしょう。

院長は昔、慶應義塾大学医学部卒業の武見太郎先生が母校慶應義塾大学の学園祭「三田祭」でご講演なさるというので聞きに出かけた。50年以上も前だから内容は詳しく覚えていない。とにかくよく勉強している頭のいい度胸のある方とお見受けした。

多数の慶應義塾大学の学生、医者、他の医科大学の学生、看護学生がベンチがないほど詰めかけ、私は立ち見で聴いていた。ドスのある声でさらにマイクであるすごい迫力で、しかも優しげな言葉で、医療というものの哲学と今の医療臨床現場の不満と改善点を吠えまくった、すごいど迫力の記憶だけはある。

講演をお聞きして若い私は深い意味もわからずに、武見先生の迫力に感銘を受けて、万雷の拍手の中の輪から外れて、ここまで堂々と医療とは何かを吠えまくり、国民に訴えて国民に医療の現状を知らしめる、紛れもない医科界のリーダーの話を聴いてしまうと。駆か出しの歯科医の私は何をしたらいいのか、自分の体が小さくなってしまった記憶がある。

歯を助けるには何をすればいいのか。

歯は抜かずに保存しましょう。歯1本も指1本も体の一部。

岡村歯科医院は歯の保存に専念してきました。

そして、入れ歯作りにも力を入れてきましたし、今も力を入れています。入れ歯は歯のない方の人口臓器で、入れ歯を入れて社会復帰する重要な装置です。疫学調査でも噛める入れ歯は健康長寿の一つの手段であることがわかっています。